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布に、暮らしに、静かな火を灯す太田卓志の仕事 。地方に根ざすアトリエから、世界へと布を解き放つ。

Takashi Ota’s work quietly kindles a gentle flame in fabric and in everyday life. From a locally rooted atelier, his textiles are released into the world.

Date. 2026.01.13 Stories

太田卓志 暮らしを彩る、布の息吹

太田卓志は島根県松江市を拠点に活動するテキスタイルデザイナーだ。現在は安来市の静かな住宅街に佇む一軒家を、自らの工房兼ギャラリーへと改装中。2025年8月には、円と和を意味するインテリアブランド〈マルトワ〉、アパレルライン〈PLIS〉(フランス語で「襞」を意味する)、そしてアートパネル作品を展開する〈Takasi Ota〉の本格始動を予定している。穏やかな土地で、着実に歩を進めるその姿には、内に秘めた熱意が息づいている。

PLIS というブランド名は東京の服飾専門学校時代に、友人と訪れたケーキ屋で初めて食べたミルフィー
ユの造形や味わいに感銘を受けたことに由来する。幾重にも折り重なるその層の美しさと、繊細な味わいに心を打たれたのだ。

最初の転機は、小学校の「父の日」の課題だった。太田が描いた似顔絵は、日々忙しい父が童心にかえ
り非日常の世界で遊んでいる様を描いたものだった。この絵を見て担任教諭は「君はデザインに向いているよ」と言い、この言葉は、彼の人生に静かに火を灯した。

また同年の松江港写生大会も記憶に残る日となった。多くの生徒が港の風景や停泊する船を描くなか
で、太田は操舵室にのみ焦点を当てて、機器類を自由に再構成して描いた。その作品が受賞したことを
きっかけに、「絵とはこうあるべき」という固定観念が崩れ、自由な表現の可能性に開眼した。

中学生の頃は、古着のリメイクにも没頭するようになる。刺繍を施し、オリジナルのロゴを縫い込み、自分だけの服をつくる——そんな行為が、やがて自然と日常へと溶け込んでいった。

高校 1 年の夏、図書館で偶然手に取ったファッションデザイナーの書籍に魅了されページを握る手が止まらなかった。

国内のファッション系大学の入試には惜しくも届かず、「ならば世界のファッションの現状を体験しよう」とイギリスへ渡航。中学時代から英語を学んでいたこともあり、選択は自然だった。語学学校で英語力を磨きながら、音楽やカルチャーにも触れ、感性を養おうとした。しかし、ビザの壁と将来への不安が重なり、帰国を余儀なくされる。

日本に戻った太田は、知人の紹介で東京・文化服装学院に入学。なかでも心惹かれたのが「服飾素材
論」だった。模様や質感を、自らの発想で作り、造形全体に機能や様式の美しさを表現すると決意した。

太田は、こう 20 代当時を振り返る。

「自らの目指す生地の創作には工業化する必要があった。工業化するにあたっては方程式の理解の必
要があったが、今向き合うべきは自分の根本にある自由な創造を思うままに表現し、それを図形化する
鍛錬こそが鍵だと確信し、日々その力を磨き続けた」。

卒業後も東京に残り、約7年間、創作と向き合い続けた。生活の糧としてレコードショップで働きながら、デッサンだけは一日も欠かさなかった。

だが、やがて体調を崩し、創作への情熱にも陰りが見え始める。バランスを崩した心と身体を整えるた
め、彼は故郷・松江に戻る決断を下した。

静かな暮らしのなか、まず向き合ったのは「食」だった。食養生を学び、やがて出合ったのが緑茶。その奥深さに惹かれ、地元・松江の老舗茶舗で 3 年間働くことを選んだ。お茶の魅力を伝えるという行為は、自らの創作とどこかで深くつながっていた。

その後、京都の染織業界に従事するかたわら休日には染め屋さんや織屋さんにご協力いただき、各分野の勉強に励んだ。無理難題の投げかけにも応じていただき、試作に励んだ。

以来、素材の探求と技法の鍛錬を重ねながら、静かに歩を進めてきた太田。地元の人々や風土との対話を深め、暮らしに根ざした表現を模索してきた。

2025 年夏──静かな工房兼ギャラリーから、新たな挑戦が静謐に動き始める。3 つのブランド製品は、
新たな物語が生まれる「地点」という日本語に由来する CHITEN SHOP が取り扱う予定だ。その布は、暮らしのなかでゆるやかに、しかし確かな呼吸を刻み始める。

本記事は、以前取り上げていただいた内容をベースに掲載しております。

文:斎藤 貴志
Words by Takashi Saito

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